東京都心をコンチネンタルGT650で流す。 信号待ち、ふと見たウィンドウに映る自分の姿。
「あ、ちょっとカッコいいかも」って、思わずニヤける瞬間がある。
バイクに乗る理由なんて人それぞれだ。 速さ、音、移動手段、ストレス解消…。 でも僕にとってGT650は、それらとは少し違う。
これは“俺らしさ”の象徴だ。
カフェレーサーというスタイルの意味
カフェレーサーって不思議な存在だと思う。 ただのクラシックでもないし、ただのスポーツバイクでもない。 どこか上品で、でも尖ってる。無駄が削ぎ落とされてるのに、どこか艶っぽい。
60年代の英国のロッカーズたちが、カフェからカフェへ爆走していた時代。 そのスタイルを今の東京に持ち込むって、なんだか粋だなと思ったんだ。
GT650に惹かれた理由
僕がGT650を選んだ理由は、見た目がすべてだった。 最初に見たとき「これだ」と直感した。無骨なメッキ、細身のタンク、クラシックな2本出しマフラー。 街中で映えるし、ガレージでも絵になる。
そして何より、どこか”英国紳士の無骨さ”を感じる。 磨いたら輝くし、手を抜けばサビる。手間がかかる分、愛着も湧く。
自分を整える道具としてのGT650
普段は筋トレとか格闘技とか、自分を鍛えるのが好きなんだけど、 GT650に乗ってると、なんか心まで整う感覚がある。
エンジンをかける。音が鳴る。街を走る。 その一連のルーティンが、妙にしっくりくる。
自分を磨きたいと思って筋トレや格闘技を続けてきたけど、 GT650もその延長線上にある。見た目も中身もかっこいい男になりたいから。
都会を走るという選択
東京の街をクラシックなバイクで走る。 高層ビル、ネオン、喧騒、無表情な人たちの中で、 GT650の音と存在感が際立つ。
これは自己主張じゃなくて、美学だ。
誰かに見せたいわけじゃない。 ただ、”今の自分はこうだ”と感じられる時間があるだけで、ちょっと救われる。
最後に
コンチネンタルGT650に乗るのは、僕にとって“移動手段”じゃない。 それは“俺を映す鏡”みたいな存在だ。
カフェレーサーというスタイルが好きな人、GT650に興味がある人、 そして何より“自分らしさ”を大事にしたい人にとって、 このバイクは最高の相棒になると思う。
僕は今日もまた、都会の中を静かに走る。 それが、僕らしい生き方だから
